ベネッセ社長の評価・評判・実績

名前 評判・実績・評価など

福武哲彦

(ふくたけ・てつひこ)
福武哲彦
【期間】
1955年~
1986年4月

【生まれ】
1916年1月10日

【死去】
1986年4月26日(享年70歳)

※1955年「福武書店」として創業。中学校や高校で実施される模擬試験、進研模試や、通信添削教育の進研ゼミで成功

※創業者。初代社長。

社長就任時の年齢

40歳

略歴

岡山師範学校卒。

約10年間、小学校の先生を務めた。

事業家を志して34歳の時に創業。1949年(昭和24年)、岡山市内にドリルなどを扱う出版会社「冨士出版」を設立。

しかし、4年後に手形の不渡りを出して倒産してしまう。

友人から上京の誘いもあったが「逃げ出したくない」と断り、一度失敗した岡山で福武書店を設立した。

1955年(昭和30年)、「福武書店」として再スタート。社員6人で中学校向けの生徒手帳の出版を始めた。

自分の名字を冠した社名は「反骨精神の表れだった」と振り返っている。

1962年、高校生向け「関西模試」を開始。1965年には、高校生の通信添削講座「通信ゼミナール」開講。1973年、通信講座の名称を「進研ゼミ」に変更

通信教育に目を付けたのは、自分が学生のころに受講し、優等賞としてベルトのバックルをもらったのが、うれしかったからだ。

最初は会員がなかなか集まらず、苦労したという。子供から答案が返ってこなければ、「しかってでも答案を出してもらう」ことで信頼を築いていった。先発の添削業者に大きく水を開けられていたが、地元・岡山の高校などをまわり、少しずつ浸透。さらに全国に広がった。

高校生から小、中学生に対象を広げる。1972年に立ち上げた中学講座の会員数は500人。ダイレクトマーケティングの専門家に、ダイレクトメールで顧客に訴える手法を教わった。

分かりやすいコピーが必要と考え、「勉強が好きになる本が無料で届きます」と広告を出すと、資料請求のはがきが3000枚来た。

そこで「スポーツやゲームのように楽しく勉強ができる」とうたい、1974年に進研ゼミ中学講座を始めた。初年度に6000人の会員を得て、軌道に乗せられた。

出身地

岡山県

社長時代の実績・取り組みなど

赤ペンスタッフ

通信教育の弱点は答案が返ってこないこと。そこで、会員の自宅に電話し、白紙でいいから提出するよう呼びかけた。

「赤ペンスタッフ」と呼ばれる指導員が会員の答案を赤ペンで添削し、「SOSカード」で悩みにも答える仕組みを導入した。赤ペン先生は添削だけではなく、子どもたち一人ひとりの相談に個別に応じるようにした。

働く意欲はあるが結婚などで家庭に入った主婦らを「赤ペン先生」としてピーク時には2万3500人も組織し、低コストで答案を添削する仕組みも築き上げた。

「共通1次」で飛躍

マークシート方式による国公立大学共通1次入試が導入された1979年前後に、業績が急に伸びた。

チャンスは1979年に巡ってきた。入試制度改革で共通1次試験が導入されたことで、教育の現場は混乱。正確な情報を欲しがった。

そこで共通1次で受験生が自己採点したデータを膨大に集めて、先生に役立ててもらった。これにより進研模試はシェアを一気に拡大。

1986年、高校3年の模試の受験者数が最大手を抜いた。

1981 文芸雑誌「海燕(かいえん)」創刊。当時新人だった作家の小川洋子氏や吉本ばなな氏、島田雅彦氏らを輩出。

「福武文庫」で海外小説の翻訳本なども手掛けた。

亡くなるころには、進研ゼミが全国に会員約100万人を持つ通信添削のトップに。

経営方針

倒産経験を教訓とした「継続ビジネス」「受注生産」「現金取引」の3原則を貫いた。

趣味

学術図書や絵本、雑誌など多方面の出版に積極的に乗り出していた。

美術愛好家で、20世紀前半にアメリカで活躍した国吉康雄の代表作100余点やルノワール、シャガールなどの名作を収集した福武コレクションは有名。

逝去・葬儀

1986年4月25日午後6時25分、急性心不全のため、岡山市の榊原十全病院で死去、70歳。

葬儀

喪主は長男の福武總一郎(そういちろう)氏(副社長)が務めた。


福武總一郎

(ふくたけ・そういちろう)
福武總一郎
【期間】
1960年4月~
2003年6月

【生まれ】
1945年12月14日

※上場で社員を大金持ちに。介護に参入。ベルリッツ買収

別の漢字:福武総一郎

社長就任時の年齢

41歳

社長就任前の役職

副社長

入社年次

1973年

出身校(最終学歴)

早稲田大学(理工学部・機械工学科)
※1969年卒業
自動車部でラリー優勝経験があり、卒論はスポーツカーの設計。

略歴

1969年に商社の日製産業(東京)に入社。

1973年、福武書店入社
※東京支社次長としてスタート

1974年、東京支社長。

専務

1985年、副社長。

1986年、創業者で父の哲彦氏が急死。社長に就任。

2003年6月、会長に

1995年4月、社名を福武書店から「ベネッセ」に変更

1995年4月、株式上場(大阪二部、広島)

1997年、大証2部から1部に指定替え

1999年、社内カンパニー制導入

2000年3月、東証一部

出身地

岡山県

入社後

錦糸町の東京支社に籍を置き、大学受験向け「進研模試」を東北と北海道に営業した。

他校と成績が比較できる資料や、受験に役立つ情報を準備し、長い時は3カ月近く出張して東北や北海道の高校を回った。

社長時代の実績・取り組みなど

介護事業への参入

「福祉・介護事業」に参入した。

福武には母親の介護体験から、少子高齢化で「福祉を担う人材やサービスが必要になる」との読みがあった。

1993年にホームヘルパー養成講座をスタート。

その後、高齢者家庭への訪問介護に参入。

1997年に施設介護に本格参入した。

1997年12月、介護付き高齢者向けホームの第一弾となる「ベネッセホームくらら岡山」を岡山市門田屋敷に開設。

ベネッセホームは個室を備え、40~50人のお年寄りが家庭的な生活を送れるホーム。

2000年、介護事業の運営会社ベネッセケアを設立。

勤務制度改革

勤務制度改革を次々と行った。育児短縮勤務制度、介護休職制度、バカンス制度など。

東京支社を多摩に移転

1994年3月、東京支社を都心から多摩市に移転した。それに伴い、月に140時間の実労働時間を満たせばよい「スーパーフレックス制」を東京支社に導入。地上21階、地下1階。

10フロアのうち6フロアを「電話のないオフィス」とした。

多摩市を選んだのは、職場の近くに住居を構えやすく、個人生活の充足ができると考えたためだという。

代わりにフロアセクレタリーとよばれる女性社員が35人に1人の割合で配置され、一括して電話を受け、その都度担当の社員に携帯電話を運ぶ仕組み。

外部にかけたい社員は特別のブースにある電話を利用する。

打ち合わせや会議中のほか、文章を書いている時に電話がかかってきて、わずらわされることが多いため、企画・編集部門を中心に取り外した。

また、午後1時半から3時半まで電話をいっさい受け付けず、会議や打ち合わせもなしで仕事に没頭するという「Qタイム」も企画・編集部門で実施。

得意先もQタイムのことを知っており、手短に用件を済ますようになったという。

スーパーフレックス制

スーパーフレックス制はコアタイムを全く設定していないため、社員は午前8時から午後9時の所定時間内で、月に140時間の労働時間を満たせばOKという制度。

一人ひとりが自立した個人として、自己責任の原則を貫いており、午前中、習い事をしてから出勤する女性も出た。

結果的に残業は減っているという。

年俸制

1995年から全社員の2割にあたる管理職に年俸制を採用した。

社名を「ベネッセ」に

1995年4月1日から社名を「福武書店」から「ベネッセコーポレーション」に変更した。

ラテン語で「ベネ(bene)」とは「良く」、「エッセ(esse)」とは「生きる」を意味し、「ベネッセ」は「良く生きる」という意味の造語である。

株式上場

1995年10月26日、大阪、広島両証券取引所に新規上場した。

初値が、50円額面の新規上場株としては過去最高値の1万8100円を記録した。

上場前の入札時から人気が集まり、売り出し価格も1万3800円の過去最高。

上場初日の大証でも買い注文が殺到、終値は初値よりも下げたものの、1万7900円となった。

社員1人当たりの評価額が平均1億円

ベネッセの筆頭株主である従業員持ち株会の社員1人当たりの評価額が平均1億円を突破した。

その結果、社員に億万長者が続出した。

ベネッセの従業員持ち株会は、株式の18.3%に当たる527万株を保有する筆頭株主だった。

上場初日の従業員持ち株会の保有株式の評価額は終値ベースで約943億円に上った。

従業員持ち株会の会員数は約900人。単純に平均しても一人当たりの評価額は約1億円だった。なかには数億円を手にできる社員もいたようだ。

大証で記者会見した福武社長も「予想以上の初値にびっくりしている」と目を丸くした。自らも349万株を保有しており、評価額625億円となった。

出版・雑誌事業

1993年、月刊・出産育児雑誌「たまごクラブ」(1998年に26万部)、「ひよこクラブ」(1998年に30万部)を創刊。業界トップになった。

文芸事業から撤退

一方、1990年代後半に文芸事業から撤退した。

雑誌「あなたにエール」を創刊

2001年1月、雑誌「あなたにエール」を創刊。親の介護や資金運用など、50代をいかにいきいき生きるかをテーマにした。

たまごクラブのように、一般の書店に並べるのではなく、会員の家庭に直接送る直販方式。直販にした理由は、どんな人を相手にしているのかがわかり、顧客が持つ情報をきめ細かくとらえることができるからだ。

食の雑誌「ボンメルシィ!」

2001年2月、食の雑誌「ボンメルシィ!」創刊。同じく直販方式。ターゲットは3歳から6歳の子供を持つ母親、つまり団塊の世代の娘たちに絞り込んだ。

手に入りにくい食材などを付録に付けて、通販とも組み合わせた。

ベルリッツ買収

1993年、32カ国に語学学校を持つ「米ベルリッツ・インターナショナル」を買収した。

通訳・翻訳会社を買収

1998年6月に通訳・翻訳会社「サイマル・インターナショナル」の営業権を取得。

「こどもちゃれんじ」開始

6歳までの通信教育「こどもちゃれんじ」開始。

進研ゼミの強化

会員が学校で使っている教科書を調べ、それに沿った教材を届ける製本・物流システムも整備した。

手厚いサービスを月数千円という価格で提供することで、少子化に抗って会員数を伸ばした。

1999年をピークに下落

だが、会員数が1999年4月の420万人をピークに頭打ちになった。2001年4月から減少に転じた。2003年4月には370万人にまで落ち込んだ。

それに伴い会社の業績も2000年度から3期連続の減益となり、3年間で営業利益は半減した。

不振の理由

教科書内容の3割削減などを柱とした「ゆとり教育」が始まったのは2002年4月だった。

既に2000年頃から教育熱心な親たちは学校教育に対する不安を募らせていた。

教科書の内容に準拠した教材を提供していた進研ゼミにとっては見過ごせない状況のはずだった。

だが、ベネッセは親心を見落とした。親の不安感を追い風に個別指導塾が急成長するのと軌を一にして、進研ゼミでは成績上位の会員から続々と退会者が出ていった。

また、進学校から徐々に教科書離れが広がっていったが、ベネッセは相変わらず教科書準拠を掲げた。教材も学力レベル別になっていなかった。

「成績上位者よりもできない子を支援する」ことが、ベネッセの中では美徳とされていたのだった。

学習教室「チャレンジ」が失敗

2004年に学習教室「チャレンジ」をスタート、3年で2000カ所に設置するという目標を掲げたが、軌道に乗らず2008年に撤退。

本社は岡山のまま

本社を岡山に置き続けた。

「東京は模倣と追随の街。中央集権的で人間一人ひとりが主役になって力を発揮できる場所がない」というのが持論。

1985年に副社長として岡山へ戻ってから、そういう思いが強くなったという。

「地方には本物の生き方がまだ残っている。地域の歴史や文化に根差した中から本当の文化が出てくる。東京に本社を移したら、この会社は10年と持たないだろう」と力強く語った。

趣味

現代芸術を愛する文化人。

「ベネッセハウス」

瀬戸内海の香川県直島(なおしま)の社有地に1989年にキャンプ場を設置した。

1992年に現代アートの美術館とホテルが同居した「ベネッセハウス」を整備。建築家・安藤忠雄が設計。デビット・ホックニーやフランク・ステラなどの作品が並ぶ。

同郷の岡山市出身の洋画家国吉康雄のコレクションは約220点に及ぶ。本社内に美術館を設け、無料で開放した。

「直島文化村」を形成した。

「人間がつくった美しいアートは、自然が最も美しいところに置いた方がいい。僕にとって、世界に誇る最も美しい場所は瀬戸内海だった」と語った。

社外での役職

2001年2月から福武文化振興財団理事長。


森本昌義

(もりもと・まさよし)
森本昌義
【期間】
2003年6月~
2007年2月21日

【生まれ】
1939年3月31日

※初の非オーナー社長。元ソニー専務。ネアカな性格の国際的ビジネスマン。2代目の福武總一郎氏(当時57歳)から経営再建を託され、3代目社長に。

ヘッドハンティング会社から紹介され、「世界で通用する経営者」という理由で畑違いのベネッセに招かれた。業績改善などに一定の実績を出していたが、週刊誌による不倫報道により、道半ばで辞任。

社長就任時の年齢

64歳

CEO就任時の年齢

67歳

前任者の新ポスト

福武總一郎社長は会長に

入社年次

2002年

出身校(最終学歴)

東京大学(法学部)
※1962年卒業

略歴

1962年ソニー入社

1983年ソニー・マニュファクチュアリング・カンパニーオブ・アメリカ社長

1987年ソニー・コメルシオ・エ・インダストリア・リミターダ社長

1994年ソニー理事

1995年6月取締役

1997年4月、人事部門長

1997年月、上席常務(IR・人事・総務担当)

1999年6月、専務(IR・広報担当)

2001年1月1日付でアイワの社長に就任

2002年12月、ベネッセコーポレーション顧問

2003年6月から社長兼最高執行責任者

2003年6月25日、社長兼COOに就任

2006年6月、社長兼CEOに

2007年2月21日、辞任

ソニー就職

就職活動の面談でソニー創業者・盛田昭夫氏と会い、「すごいオーラが出ている存在感のある人」と感動した。「ウチに入らないか」と言われ、国際的な仕事ができると思って入社したという。

ところが配属先は海外事業でなく、国内の人事・労務部門。一年で辞めたくなったが、海外留学を活用して米国に1年間留学。組織論などを学んだ。

社長就任前の実績・評価・評判・口コミ

ソニーの海外法人で活躍

ソニーが米国でテレビ工場を建設することになると、32歳で副工場長に任命された。渡米前、盛田氏から『なぜ米国に工場を造るのか』『ソニーにとってどれほど重要か』などを説かれた。

サンディエゴ工場(カリフォルニア州)の立ち上げに尽力。独自の工場運営で現地従業員との対話を深めマイク森本と呼ばれ親しまれた。

ブラジルでも製造・販売の現地法人を切り盛りした。社内に加え、日ごろ付き合いのある協力会社や商工会議所等の人と親交を深めた。

その後も長く海外で活躍。通算の海外駐在は米国15年、ブラジル10年に及んだ。

出井伸之社長の時代には、IR・広報担当の役員として前面に出た。

2001年、ソニー子会社「アイワ」の社長に就任し、再生に取り組んだ。最終的にはソニー本体に吸収させた。

アイワの仕事が一区切りついたころ、ベネッセ2代目の福武總一郎氏からオファーを受けた。

出身地

大阪市

社長時代の実績・取り組みなど

機構改革

ベネッセを従来のオーナー経営から脱却するという課題を与えられた。

意思決定の過程を透明化する制度を設けた。権限移譲、不採算事業の収束など抜本的な経営改革に取り組んだ。

自らの経営判断を第三者がチェックする機能として、米投資ファンドなどから3人の社外取締役を招聘した。

福武会長が委員長を務め、3人の社外取締役と1人の社外監査役で構成する指名委員会を設置した。森本氏自身の人事も第三者に完全に委ねた。

レベル別教育の導入

レベル別の教材作りに取り組んだ。最初に高校講座のレベルを3つに分けた。

次に中学、小学生に着手。中高一貫校向けや東京大学受験向けの講座も設けた。

住民基本台帳の閲覧廃止

一方、個人情報保護法の施行を受けて、住民基本台帳の閲覧をやめた。押し売りとも思われかねないDM中心のマーケティングから脱却するためだった。

それまでは、住民基本台帳を閲覧して見込み客のリストを作り、年間250億円以上も投じてDM(ダイレクトメール)を発送し新規会員を獲得していた。

FAXの利用開始

「添削は郵送」との常識を覆し、FAXやインターネットも使い始めた。郵送では2週間かかっていた添削が最短2日で可能になり、2006年頃にはFAXの利用率は7割に達した。

物理的な「教室」の設置

2006年10月には東京を基盤にする学習塾「お茶の水ゼミナール」を買収した。進研ゼミの教材を使った自前の「学習教室」も首都圏に約200カ所開設した。

業績改善の兆し

進研ゼミの会員数は約400万人まで回復。

2006年3月期まで3年連続増収増益。順調に業績を伸ばした。

ただし、退任直後の2007年3月期は収益が伸び悩み。

出身地

大阪市

子供時代

父親は繊維関係の仕事をしていた。父からは家訓のように「他人のしないことをやれ」と言われて育ったという。

座右の銘、モットー

「悲観的に計画を立てて楽観的に実行する」が信条。

趣味(社長就任時)

読書、ゴルフ、テニス。


【2回目】福武總一郎

(ふくたけ・そういちろう) 福武總一郎
【期間(2回目)】
2007年2月21日~
2007年4月

森本昌義社長が不倫報道で辞任したことを受けて、暫定的に社長に復帰。2度目。


福島保

(ふくしま・たもつ)
福島保
【期間】
2007年4月27日~
2014年6月

【生まれ】
1953年2月23日

※社長兼COO
※初の生え抜き社長。高卒で入社し、主力の進研ゼミの初期から黄金期まで支えた叩き上げ。

※持ち株会社になった2009年10月からはベネッセホールディングス社長

社長就任時の年齢

54歳

社長就任前の役職

専務兼CMO(最高マーケティング責任者)

前任者の新ポスト

福武總一郎会長(61歳)は社長兼務を解いた。CEO(最高経営責任者)。

他の主な役員人事

副会長には福原賢一専務(56歳)。

人事の背景

福武会長は「福島氏は進研ゼミなど教育事業の担当が長く、実行力と社内の人望もある。教育をベースにした当社の社長として最適」と話した。

体制

代表権は福武、福島、福原の三氏が持ち、役割分担を図る。福武会長はCEO(最高経営責任者)としてグループ全体の経営方針などを決める。福島社長はベネッセ本体、福原副会長は教育部門を除くグループ企業を統括した。

入社年次

1971年

出身校(最終学歴)

岡山大学(文学部)中退

林野高を卒業。1971年に入社し、働きながら岡山大法文学部二部に通った。

略歴

1971年にベネッセ(当時:福武書店)入社。

入社以来、20年間にわたり主力の中学、高校生向けゼミを担当。

1970、1980年代の急成長時代、進研ゼミを直接担当していた。

1983年4月、高校通信教育部統括責任者

1988年4月、中学通信教育部統括責任者

1991年4月、名古屋支社長

2000年6月、取締役(経営革新本部長)

取締役経営企画本部長、執行役員専務中・高教育カンパニープレジデントなどを歴任。

通訳業のサイマル・インターナショナル(東京)の営業権取得にかかわった。

森本体制下の2003年4月、再び進研ゼミの主力部隊(中学、高校生向け部門)を担当。

2003年4月、専務

2006年6月、専務兼CMO(最高マーケティング責任者)。

2007年4月、代表取締役社長兼COOに就任

社長就任前の実績・評価・評判・口コミ

福武總一郎会長が「実行力があり、人望が厚い」と信頼を寄せる生え抜き。

出身地

岡山県美作市(旧県勝田町)

人柄・性格

せっかちで短気。釣り人には気短が多い

社長時代の実績・取り組みなど

中国進出

進研ゼミの会員数が落ち込むなか、中国事業を育てた。

人柄

せっかちで短気。釣り人には気短が多い

座右の銘、モットー

信条でもあり、よく使う言葉は「絆」

趣味(社長就任時)

趣味は渓流釣り。社長になる前は、携帯電話の通じない山中にも出掛けていたが、お預けに。

好きな食べ物

納豆とホヤ以外はなんでも。特に野菜類

好きなスポーツチーム

元は広島カープファンで球場にも通った

最近いちばん感動したこと

社長就任時に旧友たちからもらった手紙

ストレス発散の方法

携帯電話が通じない渓流に行くのが最高

人生を変えた出来事や体験

1985年に住まいが爆発、九死に一生を得た


原田泳幸

(はらだ・えいこう)
原田泳幸
【期間】
2014年6月21日~
2016年6月

【生まれ】
1948年12月3日

アップル日本法人、日本マクドナルドの社長を歴任。「経営のプロ」として招かれた。

通信教育講座「進研ゼミ」は会員数が大幅に減少していた。

ダイレクトメールを送る営業手法が時代に合わなくなっていた。

デジタル教材の強化を目指して招かれた。

しかし、不運なことに、就任後いきなり個人情報の漏洩事件に直面。バッシングを浴びる役目に終始してしまった。

別の漢字

本名は原田永幸

社長就任時の年齢

65歳

前任者の新ポスト

福島保社長(当時61歳)は代表権を残したまま副会長に

他の主な役員人事

福武總一郎会長(当時68歳)は最高顧問に。

人事の背景

2013年6月にベネッセの社外取締役に就いていた。2013年12月に社長兼CEOの就任を打診された。

入社年次

2013年

出身校(最終学歴)

東海大学(工学部)
※1972年卒業

新卒での就職先

日本NCR

略歴

1990年アップルコンピュータジャパン(現アップルジャパン)入社

1997年社長

2004年日本マクドナルドHD社長

2014年3月から日本マクドナルドHD会長。

個人情報流出事件

就任直後の2014年7月に個人情報流出事件が発覚した。

日本国民の3人に1人という大規模な顧客情報漏洩事件だった。

ベネッセは流出した情報は推計約2895万件と発表。「生年月日や住所、電話番号などが第三者に漏れて、大きな不安を感じている」とする顧客の集団訴訟も起きた。

幹部を入れ替え

事件を受けて、副会長の福島保氏と、取締役最高情報責任者だった明田英治氏が引責辞任。事業会社「ベネッセコーポレーション」の生え抜きの社長だった小林仁氏も退任。

原田氏が、ベネッセホールディングス(持ち株会社)と事業会社のトップを兼務する体制となった。一方、外部から9人の経営幹部をスカウトした。

2年で退任

就任から2年で退任。業績低迷による引責辞任だった。

出身地

長崎県佐世保市

家族

妻:谷村有美


福原賢一

(ふくはら・けんいち)
福原賢一
【期間】
2016年6月~
2016年9月末

【生まれ】
1951年4月19日

※野村證券出身。副社長から昇格。原田社長の急な退任を受け、社内的混乱を抑えるためのピンチヒッター。3か月で副会長へと退き、安達氏に譲った。

社長就任時の年齢

65歳

社長就任前の役職

副社長

入社年次

2004年

出身校(最終学歴)

京都大学(法学部)
※1976年卒業

略歴

1976年、野村証券入社

2000年6月、野村証券取締役

2004年4月、ベネッセ入社。専務。

2006年6月、子会社のベネッセスタイルケア(東京)社長兼務

2007年4月27日から代表兼のある副会長に。

出身地

岡山市


安達保

(あだち・たもつ)
安達保
【期間】
2016年9月~
2021年4月

【生まれ】
1953年10月12日

※事業再生のプロ。優れた実績の持ち主

事業再生のプロ中のプロ。長年にわたりベネッセの社外取締役を務め、ベネッセの事業も熟知していた。

社長就任時の年齢

62歳

社長就任前の役職

米国系投資ファンド、カーライル・ジャパン会長
ベネッセ社外取締役

前任者の新ポスト

福原賢一社長(65)は代表権を持つ副会長に

他の主な役員人事

福武總一郎・最高顧問(創業者の息子)は、名誉顧問に。

出身校(最終学歴)

東京大学(工学部)
※1977年卒業

略歴

1977年(昭52年)東大工卒、三菱商事入社。

1983年、米マサチューセッツ工科大経営大学院卒

1995年、プリンシパル(役員)

1997年、GEキャピタル・ジャパン入社 マネージングディレクター事業開発本部長

1999年、日本リースオート社長
※米GEキャピタルが更生会社、日本リースオートの株式を100%取得。更生会社から復帰したことに伴い、社長に就任。

2003年、カーライル日本代表

ベネッセ社外取締役を3回

ベネッセ社外取締役は最初は2003年から5年間務めた。

2度目は2009年から6年間務めた。

さらに2016年6月に3度目の就任となっていた。

3度も社外取締役に招聘(しょうへい)されたのは、創業家の福武總一郎氏が安達氏の手腕を高く評価していた証拠。

社長就任前の実績・評価・評判・口コミ

2003年からカーライル・ジャパンを率い続けた。業績が悪化した日本の機械メーカーや医薬品メーカーなどの経営を立て直した。

出身地

東京都

動画


小林仁

(こばやし・ひとし)
小林仁
【期間】
2021年4月~

【生まれ】
1960年9月25日

※実力派の叩き上げ。最初1年は社長兼COOで、その後社長兼CEO。2025年1月から社長ポストとCEOポストが廃止され、肩書きは代表取締役。

2014年に事業会社のベネッセコーポレーション社長になったが、名簿流出事件ですぐに退任。2016年に復帰。

社長就任時の年齢

61歳

社長就任前の役職

副社長

前任者の新ポスト

安達保社長は代表権のある会長に

入社年次

1985年(ベネッセ)

出身校(最終学歴)

立命館大学(経営学部)
※1985年卒業

略歴

2002年8月、ベネッセエムシーエム社長

2007年4月、ベネッセスタイルケア社長

2012年、ベネッセホールディングス取締役

2014年6月、ベネッセコーポレーション社長→名簿流出事件ですぐに退任

2016年6月、ベネッセコーポレーション社長に復帰

2021年4月、ベネッセホールディングス社長兼COO

2022年4月、ベネッセホールディングス社長兼CEO

2025年1月、ベネッセスタイルケアグループ社長
※ベネッセホールディングス代表取締役のまま。「社長」「CEO」という肩書きは廃止

上場廃止

2024年5月、上場廃止に

出身地

岡山県

動画


2025年1月以降、社長職とCEO職を置かず。小林氏と岩瀬氏の2人が代表取締役として並ぶ形となる。

岩瀬大輔

(いわせ・だいすけ)
岩瀬大輔
【期間】
2025年1月~

【生まれ】
1976年3月17日

社長就任時の年齢

49歳

社長就任前の役職

アニモカ・ブランズ(香港)会長

他の役員人事

創業家出身の福武英明会長は続投

出身校(最終学歴)

東京大学(法学部)
※1998年卒業

2006年、ハーバード・ビジネス・スクール修了

新卒での就職先

ボストン・コンサルティング

略歴

1998年4月、ボストン・コンサルティング・グループ入社

2000年、リップルウッド(現RHJインターナショナル)入社

2008年2月、ライフネット生命保険を共同創業

2013年6月、ライフネット生命社長

2013年6月、ベネッセホールディングス社外取締役

2018年、ライフネット生命会長

2018年7月、AIAグループ(本社・香港)のデジタル責任者

2018年、ライフネット生命会長を退任

2020年6月、ベネッセホールディングス社外取締役

2023年3月、アニモカ・ブランズ(香港)代表取締役

2024年6月、ベネッセホールディングス副会長

2024年12月、アニモカ・ブランズ(香港)会長

2025年1月、ベネッセホールディングス代表取締役、ベネッセコーポレーション会長兼社長

出身地

埼玉県草加市

動画